忌野清四郎さんが亡くなったと思うと、作曲家の三木たかしさんが亡くなってといった感じで、昭和を輝かせていた大物歌手や作曲家が既に次々と亡くなっているコトも含めると、改めて平成も二十年以上終ってしまったコトに改めて気付く。
まだ人生の半分以上が昭和だという人間だと、追悼のタメに流れて来る映像や音楽に触れる度に、「未来を信じていた時代」がありありと思い出される。
『人間の進歩は間違いなく幸福をもたらす』と素朴に思っていた時代、「消費は美徳」と言われた時代は、エコを売り物にしている時代とはまるで違った。
息子が終戦記念日が何時かを知らないと知ったのは驚きだったりするが、本当に日本の戦争体験は遠い過去になっているのだと思うと、もしかしたらソレはソレで素晴らしいコトなのかもしれない。
我々の親は、戦争体験があり、何かというとそうした体験話を聞かされたものだ。
ともあれ、そうした体験話も本当に悲惨な記憶は忘れたいので話さないというコトに気付いたのは、ココ最近だったりするのだが。
亡くなった母親に、東京大空襲の話とか、GHQで捕虜の病院での扱いを聴取された話などは、死ぬ直前あたりになって、チラッと聞かされただけで、父母の話す戦争の話題は、やはりある程度他人に話してもゆとりのある話ばかりが多かったのだと思う。
原爆を直接体験した方も、言葉を選ぶ様にお話されるし、要するに我々は戦争の本当の悲惨さを知らないのだろうとつくづくと思う。
イヤな体験などしないにこしたコトはナイのだが、昭和というのはある意味、前半は戦争の時代で、中盤は復興の時代、そして後半はバブルという狂乱の時代だったというコトなんだろうと、昔の映像や歌を聞いていると、しみじみ思う。