2009年10月01日

心が洗われる思い

歴史小説というのは、何で読むのかというと、やはりそれは過去を振り返って、現代をどうすべきかと考えるコトにあると思うのだが、今回は公共事業というものに対する現代人の考え方が、受け身になっているのだと改めて感じた。

水神(上)水神(上)

河からの水路が欲しいと思って、庄屋達が私財すら投げ打って、堰を造ろうとする時代小説なのだが、考えてみると我々は公共事業で恩恵を受けるのが当然であり、多少なりとも自分が損をするのであれば、それを税金で補填するのが当然という考え方に馴らされて来てしまっているのだろう。

本当に大変だった時代のコトを考えると、我々はもっと憲法にも書かれている、自己の利益だけでナク、社会の利益を尊重するという意識を取り戻すべきなんだろうと反省した。

生きるコトに必死だった時代が、数百年前にあったというのに、我々はソレを忘れて自分達の生活を謳歌するコトだけに邁進するエゴイストに近付いているのかもしれない。

封建時代の厳しい時代に生まれなくて良かったとも思うのだが、失ってしまった自己犠牲などの精神をおそらく著者は描きたかったのであろう。

個人の利益ばかり追求する社会は、おそらくどこかで限界を迎えるのではないかと、良質な時代小説を読みながら、過去の時代には戻れないが、もう少し失われてしまった美徳というものを、もう一度取り戻そうとしなければ、ダメなんじゃないかという気がしてならない。
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