本日、次の本を読んでいると、本当にマスコミの力って落ちてきているのかもと思ってしまう。

市選管は「市長選の陰に隠れてしまった」と語り、市長選への高い関心から投票率が上がった分、市議補選では無効票が多くなったとみていると他人の発表だけを根拠に書いているけれども、本日の話題に市長選と共になったのが、補選の話。
選挙公報に、二人の候補者は履歴ばかりを書いていて、市会議員になったら何をしたいかというコトが、全く書かれて無かった。
なので、歳が若いかそうじゃないか、出身学校などや職歴とかで二人の適格性を決めなければならないというあまりに理不尽な選挙だったので、ある意味白票を出した人は誠実だったのかも。
棄権するよりはと、どちらかを選びはしたものの、市民には補選というのは何だったのかという不満が一杯あるというのに。
市民の声を汲まずに、大本営発表だけで記事を書くのであれば、そんな楽な仕事はナイが、そういう記事を何時までお金を出して読みたいと思うのか。
ちなみに、市長選の敗北に対する民主党の人々のコメントには呆れてしまった。単に出馬が遅かったから負けただけという認識なのだ。候補者の人選に誤りがあったとは思わないらしい。
我々、無党派層は政治に無関心だから「無党派」と言うワケではナイ。何時でも、より良い選択、もしくはよりマシな選択をしたいから、権力に付いて旨い汁を吸いたくもナイから、「無党派」を選んでいるのであって、この前の衆議院選挙も「民主党が好き」というよりも、「自民党が嫌い」という気持ちが、全県の衆議院議員を民主党にしたコトを読み違えていると思う。
少なくとも、さほどの知名度があったとも思えない人が、現職に肉薄した意味が理解出来てナイらしい。無党派の人に「共産党」のラベルを張り付けて、落選させるコトには成功したが、来年の知事選挙とか、参議院選挙に過去の自民党みたいに驕って望むのであれば、今年の衆議院選挙とは違う結果になるのではないだろうか。