殺害の事実は争われなかったので、刑の重さだけが争点だったが、求刑が懲役23年で、判決は一年だけ減刑されたという結果になった。一般的に、判決は求刑の八掛けと言われていたので、そういう意味では通常よりも重い判決だったのかもしれない。
タダ、この事件が長野県初の裁判員裁判だったコトもあり、地方紙では被告の生い立ちなども昨日掲載した。
それを読んで思ったのが、この事件との類似。

少年時代に母親を殺し、大阪で姉妹を殺した青年が、「殺人に対する反省をせず、死刑を望んだ」というコトで、一審だけで死刑になった事件の背後関係を描いた本なのですが、アスペルガー症候群で、親に恵まれなかったというコトで、転落して行った人生の軌跡を追ってました。
二人とも、刑期を終えて出所した後の勤めで、非合法的な社会に足を踏み入れ、ソコで勤まらなかった後に、殺人事件を起こしているのです。
再犯する人間にも問題があると思いますが、そうした人々を更生させられナイ日本社会というものにも、問題があるのだと感じました。
社会復帰というコトが、この不況下ではより難しいでしょうし、となると再犯の確率がマスマス高まるだけ。
死刑にまで追い込まなければ、異分子を排除出来ない社会というのも、困りモノです。
「死刑になりたいがタメに、起こされる殺人に巻き込まれた被害者」はたまったものではありません。
犯罪者を更生させるのは、その人達のタメだけではナク、我々のタメだというコトを理解せずに、つまはじきにしていると、運命のいたずらで滅多にはナイけれども、偶然の確率で事件に巻き込まれてしまうという危険性が増大するだけです。
もう少し、他人に寛容な社会にならないと、逆に自らの首を絞めるだけなのだなと改めて思いました。