行方不明問題で、かなりの数の不明者が判明した時に、ブログではあからさまに書けませんでしたが、周囲には「もしかしたら、年金目当てで、親族を犯罪絡みで亡くならせている人が居るのではないか」と漏らしていたのですが、ついにそういう人のニュースが報道されました。
時効が、現在は撤廃されましたが、過去にさかのぼっては適応されないので、何とも言い難いのですが、類似の人もある程度は存在しているのではないかと。
当初から、生存確認をすべきなのは、年金の詐取も問題ではあるけど、何より老人に対して虐待が行われてないかを調べるコトが大事だと主張していた、裏付けになってしまいましたね。
ともあれ、人間は若い頃はバリバリだった人でも、加齢と共にチンプンカンプンになって行くモノ。
正直、何度も壊れたテープ・レコーダーみたいに同じ話を聞かされるコトは、辛い時もあったりするのですが、それでも何とか自制心を働かせられるのは、『昔、世話になったから仕方ナイや』という部分があればこそ。
『親とはいえ、そんなに大事に育てて貰った記憶がナイ』と思う様な人とか、自分が追い詰められている人には、周囲がどんなに「親を大事にしろ」と迫ったとしても、ソレは無理かもしれません。
乳幼児と老人には、類似の部分があり、何でも自分のコトは自分で出来ないというコトです。
だから、中にはソレに対してイライラした人が、虐待してしまう可能性を秘めていると、常に思うべきであって、「親だから」とか、「子供だから」などと、無理に性善説を当てはめようとしても、無理な人は確実にある程度の割合で存在すると思った方がイイ。
人間の性格の中には、天使と悪魔の部分が共存していて、時に応じてどちらが顔を覗かせるか判らないと思っていた方が間違いナイ。
やはり、ある程度厳格な対応をしてでも、子供と老人は保護の対象にした方が、聞くも無残なコトが起こり難いのではないか。
行政が何もかも心配するコトはナイにしても、健康な大人と周囲の御世話が必要な世代とは別。
今のままでは、日本は「中福祉中負担」どころか、「高負担低福祉」のまま。施設を作るトコにお金を出してハードの部分を充実させるよりも、より人間のケアというソフトの部分に集中してお金を出すべきなのだと、今こそ声を大にして言いたい。