「生きづらさ」を感じて、自分の居場所を求めて、右翼に入る若者達の気持ちが判る本。
「生きづらさ」について (光文社新書)
どうして、国に虐げられている若者が「愛国」という言葉を好んだのかというコトが、とても良く理解出来ました。
今の若者は、アイデンティティを得難い時代を生きているので、自分を受け入れてくれるモノに対して、同化しやすいのでしょう。
しかし、「ナショナリズム」では生きられないコトを気付いた若者は、徐々にメーデーなどに移行しているというコトなので、良かったと思います。
ともあれ、正社員だけの雇用を守ろうとする以前の労働運動は既に、行き詰っているワケで。
正規雇用も、非正規雇用も大事にされる社会になり、個人消費が活性化しなければ、どうしようもナイとこまで追い込まれていると思います。
日本人の生真面目さが裏目に出ているみたいな、デフレ・スパイラルから脱却すべきなのかもしれません。
娘のタメに、スーツを買おうとして、今、チャンとしたスーツがあまり売られてナイ事に気付きました。
上下が一緒で無くても構わないというコトで、スーツに拘らない人が増えているコトと、いわゆる価格破壊のタメに、とても安いスーツだけを売る店が増えていました。
あまりスーツが不要な生活をしていると、そんな変化には全く気付かなかったのですが。
何軒かを、暇な時に見て回って、結局、デパートで気に入ったモノを買ったのですが、「ソコソコ、値も張るけれど、昔と比べたらかなりリーズナブルな値段で、縫製も良い」と思って買ってきたのを裾上げをしようとして、ジックリ見たら、何と「日本製」でした。
何というか、今や洋服で「日本製」というのには、滅多に出会わなくなっているコトに気付いたのですが、価格第一主義になって、「国産」のモノを買わないコトが、日本人の首を絞めているのかもしれません。
無論、こういう時代になり、浪費はし難いかもしれませんが、出来るのであれば「国産品を買う」という習慣をつけるコトが、世の景気に光を当てるコトなのかも。
タダ、もしかしたら、「国産」でも、実は外国の研修生などが作っているのかもと思ってしまう、今の実情が悲しくなります。
リベラルに国を愛し、より多くの人々の幸せを考える政治を我々は希望しているのですが、今日から始まった国会は、どう答えを出すのでしょうか。