2010年10月12日

裁判員制度は何のタメ

本日は、連休明けというコトもあり、かなりハードだったので約束していた割に、頭が回りませんのでお許し下さい。

裁判員経験者が感想や今後の運営のあり方について語り合う意見交換会で、。「いい経験になった」と肯定的に振り返る意見が出る一方、「裁判員が入ってもあまり意味がない」などと制度自体に批判的な意見も聞かれたというのだが、過去ログで述べている様に、裁判員制度は裁判の簡素化とか、長期化を防ぐという意味合いで、裁判官の絶対数が不足しているコトから始まったハズ。

だから、難しい裁判を素人の裁判員が裁くよりも、犯行事実を争わない簡単な裁判に裁判員を投入した方がイイのではないという気持ちは、今も変わらない。

「もし死刑求刑事件を担当したらどうするか」という質問には、「想像できない」「必要だが自分がやるかといわれると勘弁してほしい」と戸惑いの声が上がったそうだが、おそらくソレが普通の人の感覚。

死刑の判決を出すべきかどうか、みたいに難しい判決を強いるのはどうなのか。

万引きをして捕まった人を諭したりするコトは、一般人の市民感覚を利用した方が、向いているかもしれないとは思うけれど、犯罪をしたかどうかまで争っている裁判で、しかも重罪、下手すると死刑を宣告しなければナラナイというのは、あまりに負担が重過ぎる気が。

裁判官を職業とした人ですら、悩む様な事件の結論を幾ら社会経験があるからと言っても、基本的に望んでなったとは限らない人に、どうでも出せというのは無理があるのでは。

裁判員制度を、もう一度じっくり考え直した方がイイと思います。

無論、検察審査会のあり方も含めて。

市民感覚というのが、裁判官や検察官の思惑を実現するタメの口実にならないタメにも。
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