思えば、今まで一度も寝るのに困ったコトも無ければ、今日食べる物の心配をしたコトが無いのに、貧困の問題にどうしても拘ってしまうのは、若き日に東京でホームレスの人と言葉を交わしたからかもしれない。
その人は、既に老人に見えて日本語がそんなに上手ではナク、聞いたらどうも「中国で孤児になった」らしい。
何とか、日本に引き揚げて来たらしいのだが、チャンとした教育を受けられず、そのまま生きて来たみたいだった。
丁度、引っ越しで出たダンボールがあるので、ソレを渡したらとても喜んでくれたのだが、二度と会うコトは無かった。
何故なら、おそらく五階の事務所の外に置いてあったダンボールをエレベータで案内して渡したのだけれど、多分、エレベータに自分一人では乗れなかっただろうと思うので‥‥
その後、ダンボールがかなり溜まったので、正直、好奇心から近くのダンボールを引き取っている所に、ダンボールを持って行ったら、よくは覚えてナイが、数十円を貰った様な気がする。
今までの人生で、数十円の価値のモノを渡して、しかも、換金前だったにも関わらず、あんなに喜んで貰ったのは、後にも先にもあの時しかナイ。
そんな経験があるからなのかもしれないが、流石に忙しいので直接的に力になろうとまでは無理だが、そういう人々を題材にした著作にはどうしても心が魅かれる。
ルポ 最底辺―不安定就労と野宿 (ちくま新書)
おそらく、中国で孤児になったというコトさえ証明出来れば、生活保護を受給出来たかもしれないが、学校に行かなかったらしいので読み書きが出来ず、戸籍という意識もホトンド無かっただろうから、当時も役所は門前払いしただろうが、それにしても戦争に巻き込まれて孤児になったのであれば、当人が悪いワケではあるまいに。
もし、今みたいな知識があったならば、あの老人を救ってあげられたのだろうかと、おそらく心残りがあるので、貧困にあえぐ人々に関心を向けてしまう一因なのかもしれない。
ともあれ、そうした人々の支えもあって、日本が繁栄した過去もあったのだというコトを我々は忘れてはイケナイのだと思うが、若い時には労働力を重宝して、老いたら使い捨ててしまうという考えが、このまま蔓延して行けば、一体、日本はどうなるのかというコトを、どうしても考えずにはいられない。