宗教団体は金太郎飴
世の中の物語は、おおよそ七つに分けられていて、それを太古から変形させて書かれているだけという言葉があるが、そういう意味では書いた人によってバリエーションが違うのだろうが、あまりに類似していると少し引いてしまう時がある。
砂の王国(上)
この著者は好きだし、面白いのだけれど、この長編を読んでいて、思い出したのがこちら。
カリスマ(上) (トクマ・ノベルズ)
著者の色合いが違うだけで、根本的な部分があまりに類似している。
無論、現実の新興宗教の出自が似ているという部分があるからだろうが。
どちらの小説を読んでも、宗教というモノに胡散臭さを感じるだろうが、おそらくこうしたコトは、裏では日常茶飯事なのかもしれない。
それにも関わらず、ハマってしまう人々が多いというコトは、ある意味世界全体が病んでいるのかもしれない。
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Posted by seitaisikoyuri at 22:01│
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世界中の人々が幸せになったら宗教はいらないのかもしれませんね。どこかによりどころを求めないとバランスが保てなくなっている人が多いのかもしれません。ただ何もよりどころは宗教だけではないので、そのあたりは縁のものなのかもしれません。
人の心は弱いものですね。
私の家の近くに某教団の礼拝所がありまして全国からバスを仕立てて大勢の人々がお金を持ってやってきます。
きっとこの人たちの心が病んでいるのでしょうね。
鍼医Kさん、それだけ世の中の人々が上を見て暮らしているというコトなのでしょう。
メーテルリンクの「青い鳥」ではありませんが、幸福はスグ近くにあるというのに‥‥
takachanさん、我が家の近くにも信じている方々は大勢いますから‥‥