生活保護の申請当時無職で、所持金はわずか852円しかなかったにもかかわらず、生活保護を受給できなかった滋賀県長浜市に住むアルバイトの男性が、市に処分の取り消しや生活保護の支給などを求めた訴訟で、大津地裁は今年3月、原告の請求をほぼ認め、処分の取り消しと生活保護の支給を命じたという。
背景には生活保護費の受給者の急増と、不正受給の増加があるとはいえ、下手をするとこの男性も餓死した可能性もある。
厚労省によると、全国で確認された生活保護費の不正受給件数は、22年度1年間で前年度より5629件、比率で2割以上増の2万5355件にのぼり、不正受給額は約26億6千万円増の約128億7千万円で不正受給の件数、額とも、過去最高を更新したというのだが、だからといって本当に困っている人を助けなくて良いというコトは無い。
そもそも、生活保護というのは困っている人の生活の立て直しに使われるべきものであって、助けてから個々に善処するにはどうすべきかを考えるのが順序。
忙し過ぎて手が回らないというが、そういう時にこそボランティアの方々に手を借りるべきではないだろうか。
個人情報の取扱いが厳しくなってはいるけれども、民生委員なども一般の信用出来そうな方々が選ばれてなっているのだから、世の中には定年を迎えて、これから社会のタメに奉仕したいと思って下さる方だって存在すると思う。
無論、そうした職に就くにはある程度の研修は必要かもしれないが、過去に働いた経験から得た生きたアドバイスを受けた方が、生活受給者の方々も、再び働くに当たって必要な知識を習得出来るかもしれない。
生きたノウハウを学んだり、手厚い支援を感じれば、人生を再び始める気になるかもしれないし、小まめに受給者の方々を見て回れば、不正受給の発見もより多くなるかもしれないのだ。
社会の恩恵をタダ受けようとするのではナク、自分を助けてくれた社会に恩返ししたいと、自ら思って貰う必要性があると思う。
国際労働機関(ILO)は先進国の緊縮財政策は雇用増につながらないと警告しているというが、雑巾を絞り続けて破れるよりも、絶対に人生には潤いや救済があってこそだという気がする。