無病息災という時代ではナク、一病息災という言葉がありますが、健康だと思っている人がガクッとなってしまうのは、健康そうに見えても、実は不健康という部分に気付かないからかもしれません。
整体をやっていて思うコトは、あまりに硬くなっている部分を触った時に、こちらはどんなに痛いだろうと思って遠慮していても、施術されている方は、あまり感じないと言われるので、『あら、麻痺しているのね』と思うコトが度々あるからです。
だからというワケではありませんが、大体、本人が不調を訴えてる部分というのは、案外、そんなに硬くナイなと思うコトがあります。
そして、思わぬ部分にこそ、本当の悪い部分が潜んでいたりしますので、全身を触ってみるというコトに意義があると思ってます。
だから、自分のコトは自分が一番判っているつもりでも、そうではナイというコトもありますが、とはいえ、自分が求めているモノの中に、食べ物だったら必須成分が入っていたりしますし、他人の言葉にイヤイヤ従って生きるというコトが、一番その人にとって正しい生き方とは言い切れません。
自分が求めて生きたい様に生きるコトこそが、人生の醍醐味であるとおっしゃる医師の本を読んでみました。
一病あっても、ぼちぼち元気
我慢して生きても一生、したい様に生きても一生です。
中高年になったら、制限された窮屈な人生を選ぶのも、伸び伸びとした人生を選ぶのもありだろうと思います。
自分の人生の主人公は自分であり、選んだ責任を自分で取れるのであれば、他人が色々言う筋合いではありませんし。