2012年09月06日

バブルの時代を振り返る

世の中は、生贄に責任を全部押し付けて、本当の悪は高みの現物なのだというコトを、白日の下に晒した傑作がこちら。

修羅の宴修羅の宴


読んでいる内に、モデルはイトハンだなというコトは、すぐに判りましたけれども、おそらくバブルが過ぎて二十年以上、もうある程度の年齢以上でなければ、ノンフィクションに近いフィクションとは誰も思わないかもしれません。

世の中を実に批判的な目で見るコトが、普通になったのがいわゆるバブルの崩壊を経験してから。

個人的には、実害はホトンド無く、人生の中にバブルがあったから、その後の人生設計が堅実になったというおそらく稀有な存在なのかもしれませんが、第三者的な目で世の中の恐ろしいまでの移り変わりや、責任の取り方を見ていて、正直、日本社会にかなりの絶望感を抱いてしまいました。

責任感の強い人は、死んでお詫びをと考える一方で、本当のワルは「蛙の面にしょんべん」の例え通りに、逃げ切ってしまった。

何も、命を差し出せとは思いませんが、少なくとも悪かったコトは認めて次へ進むべきだったと思うのに、おそらく政官業の癒着した部分には日が当たらないママ。

そんな社会が、未だに続いているのを見ると、政権交代の度に逮捕されてしまう韓国社会が未成熟なのか、隠蔽されてしまう日本が成熟していると言えるのか。

どちらも、成熟にはホド遠いとしか思えません。

他国のアラは簡単に見えますが、自国を愛していればこそ、醜悪な部分をしっかり認識しておくコトが大事だと思えてなりません。
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