上流でも自分は不幸だ、と答える人がいて、逆に、下流であっても幸福だ、と感じる人がいるのは、何故かというアンケート結果を読んで、考えさせられた。
上流でも不幸な人の過半数が未婚なのに対し、下流でも幸福な人で未婚者はわずかに4%というのだから、結婚はかなりの点で、幸せにさせてくれるモノとも考えられるが、要するに、誰しも孤独だと不幸と感じやすいというコトではナイだろうか。
ちなみに、同居する家族については、下流でも幸福な人は配偶者と子供のいる人が多く、上流でも不幸な人は独身で親と同居している人が多かったのは、結婚して子供が居るというのは、自分で選んだ人生であるが、独身で親と同居というのは、自分で選んだというよりは、自分で親からの自立を選んでナイというか、親に選ばせて貰ってナイという側面もあるのではないか。
上流でも不幸な人は人間関係よりもお金にこだわる傾向にあり、下流でも幸福な人はお金よりも人間関係を重視する結果も出たというコトも、要するに、自分の周囲の人間関係に満足していれば、孤独ではナイのだから、さほどお金は気にナラナイ。
されど、孤独な人にとっては、頼れるモノはお金だけというコトになるからかも。
信仰のある人のほうが幸福というのも、人間関係を欲して、宗教団体に所属する人も存在しているので、そのタメだろう。
誰しも、自分と価値観を共有してくれる他人が必要であり、他人ではあっても、それが家族しかも、血を分けた子供であれば、より幸せと感じるというコトなのではナイだろうか。
幸福になるタメには、自分が求めているモノを明確にする必要もあるだろう。
自分が何を心から求めているかを知り、それを手にした人々は満足を覚えるだろうが、何となく幸福になりたいと思って居る人は、何かを手にしてもさほど有難くは感じないだろう。
目標を定め、それに向かって努力する過程は、結果的にそれが求められた方がより嬉しいだろうが、真剣にそれに向かっているそのコトだけで、充分満足を得られるのだろう。