専門学校生は、この少年からの命令として「ひったくりをしてでも金を持ってこい」と指示したという。
さらに府警は、専門学校生や少年がいかさまの賭けトランプで負けたなどとして川岸さんから金を脅し取っていたとされる恐喝容疑などについて、証拠不十分として打ち切っていた捜査を再開するというニュースには、素人なのに暴力団並みのやり口に驚いたが、それにしても自殺する前に、周囲の誰ひとりとして、何か手を打てなかったのかという絶望的な気持ちにもなる。
丁度、昨日読んだ本が、
見捨てられた高校生たち―知られざる「教育困難校」の現実
という本で、教育改革とは名ばかりの教育の劣悪化が書かれている。
この本の中で、特に強調されているのは、
改革の基調にある考えは、公立学校運営に競争原理を取り入れること、効率、成果主義を導入し学校や教師を競い合わせることにあるように思う。従来、公教育では表向きは平等主義が貫かれていた。ところが最近は、学校の「個性化」とか「特色ある学校づくり」といったスローガンが声高に叫ばれ、何か他の学校にないものを打ち出すべく、教師たちは日々追い立てられている。‥‥悪しき平等主義には様々な弊害もあった。しかし、公教育であるのに各学校の学びの環境に極端な差が生じることが果たして理想的なのだろうかともあれ、自殺した生徒は、いじめられても誰にも救われなかったという意味では、この本とは違った意味での、見捨てられた高校生の一人だったのかもしれない。