1947〜1949年に生まれた団塊世代が65歳以上となり、定年を迎える。そうなれば、実家暮らしの息子、娘のお財布事情はかなり厳しくなるというのが、いわゆる2015年問題なのだという。
ともあれ、我が家の親戚にも老親と独身の子供という家は、何軒も存在する。
しかも、その親達は団塊世代よりも高齢なので、将来の問題を先取りしていると言っても過言ではナイかもしれない。
中には、親が裕福ゆえからか、働かずに中高年になっている従兄弟も存在する。
無論、働きつつ一人暮らしで独身という従兄弟(私立大学の准教授など)も存在するのだが‥‥
ホトンドの場合、親達が昔の感覚で結婚問題を考えていて、簡単に希望の相手が見つかると考えていたと言ってしまえばキツイかもしれないが、何としてでも自分の子供に結婚して欲しいという感じが薄かった様な気がしてしまう。
何時かは、希望する相手が見つかるだろうという希望的観測で、いわゆる条件的にイマイチという相手をより好みしている間に、自分の子供も年齢を重ねて、より条件がダウンして、それでも希望的観測を捨て切れずに今に至っているという感じなのだが、残念ながら既に六十歳を過ぎていたり、五十歳目前に全ての従兄弟がなっているから、おそらくもう新しく結婚するという話は、聞こえて来ないだろう。
今の人口比率で居るのであれば、独身のまま老後を迎えても、お金さえあれば何とかなるだろう。
しかし、若者の人口が減るというのであれば、介護してくれる人口も減少してしまうのだ。
おそらく、とんでもナイ資産があれば、それでも老後の介護はして貰えるかもしれない。
だが、外国人労働者に冷たい日本の未来に期待を持たない方がイイ。
そもそも、人生は自由に選択出来るのだから、独身が悪いとも言えないけれども、流石に九十歳プラスマイナス五歳という実の父と主人の母を間近で見ていると、老後という未知の世界を生きるというコトは、本人にしても家族にしても大変なコトは、常にある。
それでも、家族に囲まれて歳老いている二人は、おそらく老人の中では幸せな部類に属するのだろう。
人生の選択というのは、何時になっても可能というモノばかりでは無い。
少なくとも、それだけは覚悟して生きるべきではないかと思う。