2013年11月15日

外国メディアの被ばくリスク指摘

何故、自国ではナク他国のメディアから、そして自国の医師からではナク、他国の医師に福島原発事故の被ばくリスクを指摘されなくてはナラナイのかという気になるのだが‥‥

ともあれ、アメリカで「9.11」の疑惑本が出版出来ず、日本では出来るという違いと類似のコトなのだろう。

実際どうなるかというのは、将来にナラナイと判らないけれども、一刻も早く可能性を指摘し、そうしないタメにも、善後策を講じるというのがあるべき政治の姿なのだろうと思う。

その指摘によると、「骨にがんができたり、白血病になったりする子供や孫の数は、統計学的に見れば、自然に発生する健康被害に比して少ないかもしれない。だが、これは、自然による健康被害でも、統計学的問題でもない。たった一人の子供の生命の喪失であっても、またわれわれの死後に生まれるたった一人の子供の先天性異常であっても、われわれ全員が憂慮すべき問題だ。われわれの子供や孫たちは、われわれが無関心でいられる単なる統計学的な数字ではない」。

そして、東電による原発作業員の線量評価や報告書の情報源の中立性に疑問を投げかけ、がん以外の病気や放射線の遺伝的影響もモニタリングする必要があると説く。被ばくリスクの小ささを説明する際にしばしば用いられる、放射性降下物とバックグラウンド(自然)放射線との比較についても、誤解を与えやすいと同論評は警鐘を鳴らしている。

「『放射線によって引き起こされるがんと他のがんは見分けがつかないため、福島の場合も、被ばくに起因しうると認められるがん発症の増加は予想されない』などというのは、典型的なトートロジーだ」(トートロジーとは、同じ意味の言葉を反復することで、レトリック上、必ず真となる命題や論理のこと)。


違う記事でも、がんになる可能性など、福島の原発事故による影響が検出されにくい点については同意見だが、だからと言ってリスクがないわけではない。そもそも、人間ががんになるリスクは約40%ある。だから、被ばくで少しそのリスクが高まっても、放射線の影響だと検知するのは至難の業、ということだ。

つまり、がんになるリスクが実際に高まるのかどうかが1点。もう1点は、疫学的に見て、それが被ばくによる影響だと検知できるかどうかだ。

発がんリスクの上昇を検知するのが非常に難しいという事実をもって、リスクが皆無であるかのような印象を与える箇所がなくもない。そういう意味で、少し紛らわしい説明
と国連科学委員会の発表に苦言を呈している。

チェルノブイリにしても、発がんリスクの上昇が実際どうだったのかというコトは、誰にも正確には判らない。

だからといって、判らないのだから大丈夫とは言えないという論法は使えないだろう。

リスクが生まれたからには、当然結果に反映されるだろうとの真摯な向き合い方をこそすべきではナイのだろうか。
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