2013年12月17日

整形は神への冒涜か

昔、怪我をした所が気になったので大学病院で形成手術をして貰ったコトがある。

その時に、「傷跡をより隠すタメなら、鼻を高くする方法もある」と言われたけれども、自分の顔が変わるのはイヤだと断ったのだが、おそらくそれで正解だったと思っている。

美容整形についての話題に触発されて書いているのだが、別に全文を読まずとも、これだけは言える。

「親から授かった身体にメスを入れることは罪」などと言ったら、外科を含めて手術は全て受けられなくなってしまうから、そうは言わないが、生まれ持った顔に自信を持たなければ、人生は不幸だと思うからだ。

「イヤ、絶対にそうは思わない」と断言出来るのであれば、それはその人の人生なので他人が口を挟む筋合いではナイが。

そもそも、顔には表情筋があって、それで健康か否かも判るのだけれども、整形をしてしまうと表情筋の動きが不自然になってしまう。

世の中には、人工的であっても、綺麗な方が良いという考え方をする人も居るのだから、自分も相手も満足ならば、それはそれで御自由にというコトなのだが。

しかし、自分本来の顔がイヤとなると、整形で出来た顔だけが、自分の顔だと割り切れるのかという問題に突き当たる。

整形した顔だから、受け入れられたのであって、本当の顔だったら受け入れられなかっただろうとは思わないのかというコトだ。

その時に、全く悩まない人であれば、整形すればイイと思うが、少なくとも皆が類似の顔をするのが好ましいとは思えない。

顔にこそ個性が出るのであって、自分の全てをひっくるめて受け入れて貰った方が、人生は楽だと思うからだ。

そもそも、若い頃の様な顔の維持はとても難しい。

しかし、年齢を経て皺だらけになったとしても、自分の人生を生きて来た人の顔は、それはそれで十分に美しいと思うからだ。

そして、どんな顔でも血流を良くして、中側からツヤツヤと輝けば、それはそれでとても綺麗だと思うから。

何より、そういうお手伝いが出来る今の仕事が、嫌いではナイからかもしれないが。
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