本日読んだ本は、こちらとこちら。
上記の本は、売るタメの目的もあって、本の題名とそれに合わせた色々な調査結果を出してはいるが、最終的に述べたいのは「男性原理主義社会」から決別した方が、人生楽に生きられるのではという主張だったりする。
そう考えると、違う感じで書いた方が正しい気がする本なのだが、それを読んだが故に、下の本が違った意味で理解出来た。
というのも、最初の著者が主張している「男性原理主義社会」は、「男尊女卑」とは違い、強いこと、闘争心があること、競争に勝つこと、より速く行動すること、相手を言い負かすこと、上から目線で語ること、お金を稼ぐこと、出世をすること、あるいはもっと通俗的には、精力が強いことなどなどが特徴なのだと。
正に、下の本の著者達は、その逆の人々なので、確かにどんなに高学歴でも貧困になりやすいかもと思ってしまった。
無論、そういう人々が悪いというよりも、今の社会は「男性原理」を良しとする男性と女性こそが、社会に受け入れられていると思う。
でも、そういう生活が幸せかどうかは全く別の問題。
「女性原理」で、闘争を好まず、ただ強いだけであることを重視せず、負けた人にやさしく、弱い人を助け、世話し、ゆっくり、じっくり相手の言うことを聞き、相手を言い負かすことより、相手との会話自体を楽しみ、お金を稼いだり、出世をするよりも、美的なものに囲まれ、なごやかに暮らし、より多くの人々が幸せになることを重視する方が確実に幸せだろう。
下記の本の中に、「貧乏」ではあったが、「貧困」ではなかったという一文があるけれども、若い頃はお金が無くとも、自由だったり、若さ故の健康もある。
確かに、お金はある程度のモノを買えこそすれ、絶対に「健康」を丸ごと売ってはくれない。
加えて、「足るを知らなければ、どんなに金銭を所有していても、飢餓感は無くならない」ワケで。
同じ一生ならば、満足して生きる方が、無いものねだりして生きるより、絶対に幸福になると思わせてくれた本。