2016年08月02日

絶対弱者という存在

「コミュニケーション能力の欠如」、「閉ざされた世界でしかコミュニケーションできない」、「そもそもの学力はあるはずなのに成績は低い」、「自分の行動の結果を予測できない」、「社会的常識が根本的に欠如しているにかかわらず、その自覚がまったくない」、「評価されたいという願望ばかり強い」、「継続した人間関係をつくれない」、「根拠のない自信を強く持っている」 という若者について述べられた本がこちら。


異常に自己愛が肥大化していると思うけれども、そういう若者の存在は子供達の周囲にも存在した。

考えてみると、相模原の大量殺人事件の青年も、そんな感じである。

本物の天才を除けば、やはり真面目に勉強など努力をしなければ、どうにもならないのだが、そういう人物は努力を放棄するというか、努力して結果を出すコトを嫌がる。

何故なら、勉強をしっかりして、結果を出すのではナク、『しっかり、勉強して無かったから、こんな点数だけれど、チャンとやれば、周囲の人などぶっちぎり』という言い訳をしたいからではないかと思うのだが‥‥

息子の、高校時代の友人の一人もそんな感じの人物だった。

その彼は、わざと留年して、息子から遠く離れてしまったが、息子からとても変わっていると度々話をしてくれたので、『子供の頃はかなり優秀だったというのだから、もっとチャンと真面目にやれば良いのに』と何時も思っていた。

ある意味、そういうコトをしていた意味が、長年の後に理解出来たというコトかもしれないけど。

現実と上手く折り合えない悲劇を、周囲が理解してあげて、道を正さなければイケナイのだろうが、そういう人々と向き合う大変さが本には書かれている。

そういえば、そのまま大人になって、無職のままという友人が居ると、以前、ケーキ屋さんの御主人が言っていた。

その方は、親のお金でケーキを買いに来ては、「何時か、おまえよりビックになってやる」と根拠の無い感じの話をするのだと。

少なくとも、何かをなそうとせずに、タダ自意識だけ高くしても、どうにもナラナイと思うのだが、それを認めるコト無く人生の折り返し地点を過ぎてしまえば、架空のプライドにしがみ付くしか生きる術がないのだろう。

そういう、人生に折り合えない人物が、上手く乗せられるとテロリストなどにリクルートされるのかもしれないと思ったりもする。
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この記事へのコメント
再び!

自分の能力や努力具合を理解できてないと大失敗する!
この歳になっても自分を見つめる事を忘れないようにしたいと思います

凸凸!
Posted by k-hirata at 2016年08月02日 23:12
k-hirataさん、自分を振り返る努力を忘れてはイケナイと思いました。

「他人の振り見て我が振り直せ」というコトですね。

諺には、とてもタメになるモノが多いのですが、最近の若者は習わないコトは、覚えなくて良いコトとして、その手の話題に疎いですからね‥‥
Posted by koyuri at 2016年08月02日 23:53
確かに今は、コミュニケーション能力がなく、また必要とも感じていなくて、根拠のない自己肯定感をもち、社会と分断されつつ若者たちが多いそうですね?
Posted by 智太郎 at 2016年08月03日 15:56
智太郎さん、以前からそうした若者も居たのだと思いますが、豊かになって来たので、過保護な親に守られて、そのまま現実に目を逸らして生きられる人が増えたというコトかもしれませんね。
Posted by koyuri at 2016年08月03日 21:00
 
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