「コミュニケーション能力の欠如」、「閉ざされた世界でしかコミュニケーションできない」、「そもそもの学力はあるはずなのに成績は低い」、「自分の行動の結果を予測できない」、「社会的常識が根本的に欠如しているにかかわらず、その自覚がまったくない」、「評価されたいという願望ばかり強い」、「継続した人間関係をつくれない」、「根拠のない自信を強く持っている」 という若者について述べられた本がこちら。
異常に自己愛が肥大化していると思うけれども、そういう若者の存在は子供達の周囲にも存在した。
考えてみると、相模原の大量殺人事件の青年も、そんな感じである。
本物の天才を除けば、やはり真面目に勉強など努力をしなければ、どうにもならないのだが、そういう人物は努力を放棄するというか、努力して結果を出すコトを嫌がる。
何故なら、勉強をしっかりして、結果を出すのではナク、『しっかり、勉強して無かったから、こんな点数だけれど、チャンとやれば、周囲の人などぶっちぎり』という言い訳をしたいからではないかと思うのだが‥‥
息子の、高校時代の友人の一人もそんな感じの人物だった。
その彼は、わざと留年して、息子から遠く離れてしまったが、息子からとても変わっていると度々話をしてくれたので、『子供の頃はかなり優秀だったというのだから、もっとチャンと真面目にやれば良いのに』と何時も思っていた。
ある意味、そういうコトをしていた意味が、長年の後に理解出来たというコトかもしれないけど。
現実と上手く折り合えない悲劇を、周囲が理解してあげて、道を正さなければイケナイのだろうが、そういう人々と向き合う大変さが本には書かれている。
そういえば、そのまま大人になって、無職のままという友人が居ると、以前、ケーキ屋さんの御主人が言っていた。
その方は、親のお金でケーキを買いに来ては、「何時か、おまえよりビックになってやる」と根拠の無い感じの話をするのだと。
少なくとも、何かをなそうとせずに、タダ自意識だけ高くしても、どうにもナラナイと思うのだが、それを認めるコト無く人生の折り返し地点を過ぎてしまえば、架空のプライドにしがみ付くしか生きる術がないのだろう。
そういう、人生に折り合えない人物が、上手く乗せられるとテロリストなどにリクルートされるのかもしれないと思ったりもする。