必ずしも、神武天皇が実在したのか、はたまたその系統が現世まで続いているのか、確定的なコトは言えないというのが、普通であろう。
しかし、そうだと決めつけて、この国の象徴として君臨して頂きたいと思っている方々によって、今上天皇は自ら望んでいる退位すら出来ないというのは、全く矛盾した話ではないか。
本日読んだ本は、
であり、必ずしも「古事記」と「日本書紀」の年号は一致しないコトを、丁寧に説明している。
そして、今、読もうとしているのが、
なのだが、どちらの本も、実際には存在してナイと思われている年号が、日本各地の寺社縁起や地誌、歴史書などに残っていると書いてある。
ともあれ、古代に於ける皇統断絶の可能性は以前から指摘されてはいるものの、時代の変遷の中でも、象徴としての天皇制は、受け継がれで来た可能性は高く、征夷大将軍の任命などが、それを裏付けている。
とするならば、象徴として大事にすべきであるというモットーの人々が、今上天皇の意思を守ろうとしないのであれば、不敬か二枚舌かの何れかであろう。
そもそも、天皇制を認めないという人々の発言であれば、何を述べようと言行不一致ではなかろうが、自分の思惑に利する時だけ持ち上げて、それに反する時には批判するなど、人として許されるべきではナイ。
そういう人々は、真実の歴史の究明にも反対するに違いナイからである。
正しい歴史感を持つコトも大事であり、今上天皇の意思を尊重するのも、当然のコトだと思うのだが、どうも身勝手な人々は、人としての道理というモノが通じないらしい。