下記の本の中にも書かれているが、ヒットラーがユダヤ人を嫌悪したのは、自分の中にユダヤの血が流れている可能性を完全に払拭出来なかったからかもという様に。
ともあれ、人間は弱いので、自分が理不尽な目に遭うと、その原因を他に求めたがるコトも多い。
例えば、地震で怪我をした人に、「誰かに怒りたくでも、天災ではどうにもナラナイ」と言われたコトがある。
そういう時には、せいぜい「運が無かった」と諦めるしかナイだろうが‥‥
ともあれ、自分が不遇だと思うのは、誰しも辛いモノ。
そして、それが自分が悪かったと思うのは何より。
嘘吐きな人が、嘘吐きを嫌悪するのは、いわゆる「同族嫌悪」だと思っていたが、精神科には実際にそういう人々が受診するらしい。
著者が、引用しているラ・ロシュフコーは、毒舌家と紹介されているけれども、箴言家と思って頂きたい。(若い頃に、その手の本を読むのが大好きだったので)
ちなみに、今は便利な時代なので、ネットで検索すればある程度の有名な箴言はスグに出て来たりする。
人が不正を非難するのは、そのことを憎悪するからではなく、むしろ、自分がその害をこうむりたくないからである。
人が大部分の物事を称讃したり、くさしたりするのは、それらを賛め、それらをそしるのが流行だからである。などなど、そういう人々は昔から存在しているワケで。
そういう人々の声が、ネットという存在があればこそ、声高に聞こえて来る様になっただけで、人間とはあまり進歩してナイだけではないかとも思ってしまうのだが。