2018年02月28日

仮想的有能感の弊害

とはいえ、全く仮想的有能感が無いというのも困ったモノで、著者はシュルツの描く漫画、ピーナッツに於ける、チャーリーとルーシーを代表して説明させているのが、こちらの本。


何か問題が起きた時に、全て自分の失敗と考えるのがチャーリーで、他の誰かのせいで失敗したのであって、自分は間違ってナイと思うのがルーシー。

そのどちらも、間違った考え方をしているという。

この本で、一番指摘されているのは、ルーシー的人物であり、自分が幸福と心から感じている人は、周囲の人を無理に批判したりけなす必要は無く、自分への批難を素直に受け入れる。

それが出来ないというのは、劣等感の裏返しだと指摘している。

タダ、チャーリーみたいに完全に自信喪失してしまうのも、漫画であればともかく、現実には活き辛いだろう。

人生は、何事もホドホドというのが、この問題にも。

過度に自分に対する「仮想的有能感」をつのらせ、逆に周囲の人は皆が馬鹿と思っていたのでは、誰とも仲良くなり難いだろうし、自分の幻想の中でしか生きられない。

いわゆる、大人に成りきれてナイ人というのは、必ずしも若者だけでもナイとは思うが。

実際、政治家の中にも詭弁を弄する人は多かったりしますしね。

少なくとも、「失敗は成功の母」と割り切って、失敗の原因を突き止めようとしたり、失敗した悔しさをバネにして努力しなければ、未来は拓けて来ないと思う。

まずは、ありのままの自分を受け入れるコトこそが、将来へのステップの第一歩ではないかという気がするのだが。
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Posted by seitaisikoyuri at 22:55│Comments(2)
この記事へのコメント
こんにちは

何かの失敗をしたときに「やっぱり俺は駄目なんだ」と言う友人と、「この俺ですら出来なかった!」と言う友人がいます
両極端な二人ですが、他人のせいにはしない・・・
これはイイ事だと感じています

私はその二人からは、どう見られてるんだろう?
気になります


凸凸!
Posted by k-hirata at 2018年03月01日 11:27
k-hirataさん、「やっぱり俺は駄目なんだ」と言う友人の方が付き合い易いでしょうが、そういう人って結構失敗しやすかったり‥‥

謙遜も程度モノだと思いますね。
Posted by koyuri at 2018年03月01日 18:08
 
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