昔、親が良く言っていた言葉は、「上見て暮らすな、下見て暮らせ」という言葉だったが、家業の手伝いを子供の頃からしていたので、『必ずしもお金があっても、幸せではナイ人も居るのだ』というコトを見ていて感じた。
なので、本人が幸せであれば、お金が無くとも幸せではあるのだろうが、それでも最低限のお金が無ければ、生きるのは大変。
表題の言葉は、下の本の中に書かれていたのだが、
「犠牲の累進性」とは、正社員が過労死しそうで大変なんだけど、「大変だ」と言うと「低賃金で不安定な非正規労働者の方が大変だ」と言われ、非正規の人がそれゆえの苦労を口にすると、「ホームレスの方が大変だ」と言われる。ホームレスの人が過酷だと言えば「もっと貧しい国の餓死寸前の人の方が大変」「紛争から逃げている難民の方が大変だ」というように、「より過酷な状態に置かれている人」と比較されて「苦しい」という声を上げられなくなる。
そうした、「お前の苦しみなど大したものじゃない、甘えるな」と口を封じるのが、「犠牲の累進性」だという。
自分で自分の大変さを慰める為に、他者と比較して諦めるのならともかく、あまりに大変でギリギリだと思う時に、他者からそう言われて黙らさせられるというのは屈辱だろう。
だが、確かにそういう世の中になって来ている。
本当にそんな世の中で良いのだろうか。
世の中の半分位の労働者が非正規になろうとしている社会が、正しいのか。
そして、高給だからと、死ぬまで働かされる様な仕事をさせられるのも、正当化されようとしているのだが、本当にそんな社会になって良いのだろうか。
実に、考えさせられる問題だ。