昔、「こきりこ節」という唄を音楽の時間に習った時に、日本の音階は必ずしも「ドミソ」の音階とは一致してナイという話を聞いたコトがあったと思うが、今回、下記の本を読んで、その事を思い出した。
現代では、ピアノに適用された十二平均律がその基準となっている。
しかし、必ずしも昔から全世界がそうではナク、又、今になってもそれ以外の音を守っている地域もあるという。
というのも、1オクターブを1200の均等な単位で分割してみると、十二平均律では出せない音も出せる。
故に、十二平均律により、規格化された響きが、われわれの自由な耳の感性を束縛しているとも言える。
時代の流れや民族の独自性によってさまざまに変化してきた音が、1オクターブを1200の均等な単位で分割した音によって、再現されてみると、必ずしも十二平均律だけの音だけでは、物足りない気分になったりもするのだと。
過去に於いては、音律が宇宙論に関係したり、古代中国では国家を支える尺度になっていたコトもある。
音律の変遷を古代ギリシャから古代中国、アラブ、西欧と調べるコトにより、世の中にはもっと豊饒な音楽世界もあるのだと説く。
日本の琴などの音色も、単なる十二平均律では出せない音だったりするのだと。
何だか、少し音について物知りになった様な気分です。