2019年11月09日

イヤな時代

貧困というのは、金銭的というよりも、最大の貧しさは心根の貧しさにこそあると思った出来事を、聞かされて本当に驚いた。

というのも、用が有って電話して来た方から、思いもよらぬ話を聞いたので‥‥

被災して、避難所で日々を過ごさざるを得ない人に、地元の新聞記者が「何か、良い出来事は無いでしょうか」と聞いたら、「三度三度の御飯が頂けるだけ有り難い」と答えたという記事を載せたら、「避難所に居る人だけズルい」という反応が有ったとか。

何というか、心の狭さを感じてしまったのだけれど。

さらに聞くと、その発言をした方も被災されたらしいのだけれど、その方は自宅に居られる方らしい。(無論、それなりの理由は有るだろうけど)

それでも、他人が大勢居て、心休まらない場所で日々を過ごさなくてはナラナイ人が、日に三度のお弁当を届けられる事に感謝する事態になったのは、治水に問題があったからではないか。

だとするならば、それに対しての謝罪の意味も込めて、行政から差し入れがあったとしても、当然の権利としか思わないのだけれど。(無論、感謝の念は必要だろうし、そうした過失を認めない国なのだというコトも知ってはいるが)

丁度読んだ本にも類似の話などが載っていた。


何時から、日本は困っている人に対して、石を投げるのが平気な国になってしまったのだろうか。

少なくとも、税金の使い道が戦争の道具を買うのに使われるよりも、生活が大変な人に対して使われた方が、断然、気持ちが良いと思うのだけれど‥‥

「勝者が総取りする」という社会になってしまった時に、絶対に自分は失敗しないと言い切れる人は本当に何人居るのだろう。

大病は貴方を襲わないと、絶対に言い切れるのだろうか。まして、それが難病では無いなどと、100%信じられるのであれば、それは御目出度い人としか、正直、言い様が無い。

人生には、色々な思いもよらない出来事が起きる。その時に、誰も自分を助けなくとも良いという人だけ、石を投げても構わないのだけれど、そういう人になれるのか、そして、なれたとしても、良心は痛まないのかと、本当に不思議でならない。
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Posted by seitaisikoyuri at 22:20│Comments(0)
 
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