農水省の元事務次官が、自宅で息子を殺害した事件で、検察側は懲役8年を求刑したというが、通常の求刑に比べると、とても軽い。
検察側は、論告で「熊沢被告は、息子からの暴力などについて、専門家に相談するなどの手段を尽くしたとは言えない。尊敬していた父親から命を奪われた無念は、察するに余りある」と指摘、一方、弁護側は「熊沢被告は長年、息子の生活を支え、献身的に尽くしてきていて、事件の経緯や動機には同情の余地が大きい」と執行猶予付きの判決を求めたそうだが、その記事のコメント欄にも、執行猶予を求めるコメントが幾つも書き込まれている。
タダ、事前にネットで「殺人 執行猶予」と検索していたのであれば、確実に計画的な殺人であり、とても突発的な殺人とは言い難い。
しかも、事前に「これしか方法が無い」という手紙まで書いていたのだから。
息子が家に戻った翌日に、突然「お父さんはいいよね、何でも自由になって。それに比べて私の44年の人生は何だったんだ」と泣き出した。その後被告が「目白の家のごみを掃除しないと」と口にすると、英一郎さんは激高。被告の髪の毛をつかんで家具に頭をたたきつけるなどの激しい暴力を振るったので、妻は「(被告が)死んでしまうと思った」という話を読むと、正直、息子の気持ちを汲む気があったのかと、少々、辛口ではあるが疑問が残る。
自分の子供に対して、親の希望に沿った人間になれというプレッシャーを掛け過ぎる弊害が言われて久しいが、どうもそういう感じの議論にならず、世の中の規範に合わない人の人権など、無いが如きの様に感じてしまうのだが。
せめて、恥を忍んで、もう少し誰かに正直に打ち明けて、助言を得ようとすれば、展開は違ったのではなかろうか。
勉強に差しさわりが有ると、息子の大事なモノを黙って捨ててしまったという報道も過去になされたが、立派な親の元に生まれた息子は、特に大変という話は結構多い。
エリートの目線で、自分の子供を判断して無かったのだろうか。
もう少し、子供の視線に立って、色々と考える事をしていたらと、本当に気の毒なのは、「いっそ、親に殺されたい」とまで願ってしまったかもしれない息子さんの方なんじゃないかと考えてしまうホドの、難しい親子関係。
以前から、引きこもりの問題は、親が子供の存在を隠したがるから長引くという説があり、親が亡くなると、死にたくなければ、子供は社会に出て来るという。
子供を持つ親として、考えさせられる話では有るけれど、少なくとも親なら引きこもりの子供を殺しても仕方がナイという風潮にだけはしない方が良いのではないかと感じる。