訳がわからないご老人の行動にも理由があるという本。
例えば、「なぜ、ゴミ屋敷はエスカレートするのか?」、「なぜ、キレやすいのか?」、「なぜ、いつまでも昔の肩書きにこだわるのか?」、「なぜ、他人の世話を焼くのか?」などという問いに対する答えは、そうなのかと理解は出来ます。
タダ、一つだけ気になったのは、ピンピンコロリ願望の根底には認知症や障害のある人に対して、「ああはなりたくない」と思う気持ち、きつい言い方をすれば差別感があるからだとの主張。
とはいえ、著者に冷静に考えて欲しいのは、著者自身が団塊の世代よりも多少若いというコト。
何があろうと、年金もタップリ貰えるし、貯金も何億と有るというのならともかく、今は少子化で介護する人手が不足しているけれど、まだマシ。
しかし、我々団塊の世代よりも若い世代が高齢者になった時に、AIロボットが完成していて、介護してくれるという社会になってなければ、誰が面倒を見てくれるというのだろう。
今はまだ日本に働きに来る外国人労働者も沢山居るけれど、もし「円の価値が暴落」したり、もっと良い待遇で働かせてくれる国の存在を知っても、この先まで日本に働きに来てくれるのだと思っているのであれば、相当、御目出度い人としか思えない。
介護を経験した人ならば、その大変さは身に沁みているハズであり、とても自分が高齢になった時に、他者の手を借りなければナラナイという場合に、誰が助けてくれるのかと暗澹とした気持ちになるハズである。
今年の新生児は90万人を割るとは思っていたけれど、一気に87万人台まで下降した。
彼等が成人になる時に、高齢者になったとして、我々世代の上に団塊の世代が存在しているという事を考えれば、とても介護を頼めるハズも無いと自覚しなくては。
今の老人の様に、ケアして貰える保障はゼロに近い。
「ああはなりたくない」ではナク、「ああなったら、野垂れ死にしても仕方がナイ」という覚悟無くして、とても老いられない時代がもうソコまで来ている事に、より多くの人が一刻も早く気付いて欲しいという気がするのだけれど‥‥