江戸時代と言うと、年末に思い出されるのは『忠臣蔵』。
だが、吉良が切られたのは、赤穂藩の賄賂の出し渋りが原因で、嫌がらせさせられた藩主の鬱憤が溜まってというコトが原因らしい。
タダ、賄賂というか、吉良は要職に付いての経験があり、その経験を教えて貰いたいと思えば、付け届けをするのは、当時としては常識だったと知って、ビックリした。
後に、八代将軍の吉宗になってから、色々な公文書を保存するコトによって、誰でも行事などの段取りが判る様になったとか。
ともあれ、嫌がらせをして切り付けられ、その時は処分されなかったけれど、その後になって、仇討だと自分は殺されて、息子も処分されたというコトを考えれば、結局、大損をしたとしか思えない。
朝廷からの使者を持て成す行事の時に起こった事件であり、吉良は足利の血を引いて居て、そういう事に明るかったのだというコトは、理解出来た。
ともあれ、初めから公文書として、朝廷の使者を迎える時は、どうするべきかとさえ明記されていれば、双方供に何事も無く、事件が起きなかったのだと初めて知った。
そう考えれば、今の政府が公文書を改竄したり、破棄したりというコトは、とんでもナイ事。
歴史を知れば、より良い現在の有り方を知ると言うが、本当にそう。
何十人の命を奪った事件は、文章化されないで居たコトによると知って見れば、『忠臣蔵』も、今迄とは違って見えるというモノ。